はじめに
こんばんは、nataです。
忙しいを言い訳にブログが書けていませんでした。。まだ本気度が足りない証拠だと反省しております。
引き続き、頑張っていきますのでお願いします。
さて、本記事の進め方ですが、
ある一つのツイートを引用し、自分の失敗談を交えて読者の皆さまに学びを共有しようと思います。
私の失敗談を読んでいただき、皆さまが二の轍を踏まないことを願っております。
ー--
まずは以下のツイートをご覧ください。
「真実と現実は異なる」という題目ですが、このツイートを読んでハッとしました。
社会とは人が集まって形成されるので、集団にとって違和がある場合は真実は価値を持たなくなるといったことを感じ取りました。
(「了解です!」は使い方が間違っているので、そもそも真実ではないですが・・・)
nataの失敗談
私の会社では「パワポの共通フォーマットが見づらい」といった話がよく上がっていました。
そして、それを馬鹿正直に信じた私は自分なりに工夫をしたつもりで、自分主催の打ち合わせでは独自のフォーマットのパワポを用いて、プレゼンを行い始めました。
社外との打ち合わせではわかりやすいといった反応は頂けるのですが、社内の打ち合わせではなぜか微妙な反応が続いていました。
この反応の差は何だろうかと考えている中、私のフォーマットに対して上司から以下の意見が多かったことに気づきました。
「フォーマットを社内用のモノに直しといて」
この上司のコメントを受けて、当時の私は「社外の人にわかりやすいって言われてるんだからいいじゃないか」と考えていたのですが、後に自分の失敗に気づき、以下のように思いました。
「”わかりやすさ”は社内外によって感じ方が違うんだ」
たしかに独自のフォーマットは一般的にわかりやすいと言われるものでした。しかし、社内のプレゼンされる人達(マネージャ陣)にとっては会社独自のフォーマットが慣れているものだから、そちらの方が彼らにとってはわかりやすいのです。
「社内のフォーマットを変えるよう担当部署に問いかけたらいいじゃないか」と思うかもしれませんが、そこまでの価値や工数をかけるほどの案件ではないのです。(大企業の悪いところだと思います。)
以降、私は「誰に向けたプレゼンで、誰に一番理解してほしいか」について考え、それによってフォーマットを変えるようにしております。
パワポを用意する本質的な理由は「相手により理解してもらう」ことであり、その相手がだれかによって方法・形式を変えればいいと思うのです。
本日の学び
失敗談に結び付けてお話しすると、本日の学びは以下になります。
集団(影響力を持つマネージャ陣)にとって違和がある場合は真実(パワポが見づらいから形式を変えるべき)は価値を持たなくなる。
もちろん他人に縛られないストレスフリーな生活を送ること、が幸せなのかもしれないですが社会に生きている以上は集団に関りを持たざるを得ないと考えているので以上の内容を共有しました。
あなたにマナビを。
nata
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